棗の夢‐回想の記 「シンガポールとマレー農園指導」について 本書は父春太郎が生前書き残した三部作の手記の中から「シンガポールとマレー農園指導」に関する記述部分全文を抽出し編集したものである。春太郎は、1938(昭和13)年7月から1942(昭和17)年5月まで日中戦争に従軍し、まる4年間にわたる軍隊の任務を終えて帰国した。その後しばらく舞鶴海軍工廠で青年学校の指導をしていたが、一年ほど勤めた時、知人を通じて、「フィリピンのマニラか、シンガポールの農園に行ってくれないか」という知らせが大阪の石原産業から届いた。壮大な規模の農園を担当するという、夢のような役目だった。 中国戦線での激しい戦闘の合間、春太郎は大陸の大自然に魅せられ、揚子江流域で乗馬に没頭したり、現地住民に関心を抱いて、駐屯地近くの池に洗濯にやってきた村の婦人たちから中国語を教わったりしていた。その経験から現地人も日本人も同じ人間であると思っていた。マライ語も、経験上、3ヶ月くらいで何とか話せることが分かっていた。東洋一の都と言われるシンガポールに行ってみたい気持ちになった。 当時は太平洋戦争の最中であり、渡航する30パーセントくらいの船が、米国の潜水艦に沈められているとの噂が流れていたが、春太郎には戦場の経験があったため、何の不安もなかった。1944(昭和19)年7月、シンガポールに向かう大海原の航海中、春太郎の心は踊った。 シンガポールはまさに異国の地、見るもの、聞くものが違っていた。春太郎にとってまさにそこは天国、毎日わくわくした気持ちでマレー農園の指導に当たった。日本軍の占領下とはいえ、現地住民の暖かい心に接し、人種の違いを超えて交流することができた。華僑の青年たち、マレーの住民、インド人、ジャワ・ボルネオ・スマトラなどインドネシアの島々から渡ってきた旅人たちと親密な交流を行なった。元海賊の親方も春太郎には大変親切だった。 春太郎にはおとぎの国に来たように思えた。しかし、1945(昭和20)年に入ると、日本の敗戦が色濃くなり、あわただしい情勢となってきた。日本からの食糧の輸送が困難になった軍は、シンガポールの港で訓練する舟艇特攻隊員のため、石原産業の春太郎に食糧の斡旋を頼んできた。同年5月には、南方総司令部から呼び出しを受けた。マレーが玉砕した場合を想定し、春太郎に対し、10月までにジャングルの共産本部に入ってもらえないかとの要請であった。
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